2019年12月14日

学校安全としての救命講習をどうにかしなくちゃいけない

学校・部活動における重大事件・事故から学ぶ研修会cross×three


日本体育大学で開催された公開講座「学校・部活動における重大事件・事故から学ぶ研修会」に参加してきました。

3回シリーズの今回は、学校の事故でお子さんを亡くした遺族の方の講演。

これから体育教員やスポーツ指導の場に立つであろう日体大の学生のほか、一般参加者、マスコミなどを前に、3名のご遺族が事故の概要と学校側の対応、学校安全の在り方・課題をお話しくださいました。


・子どもを突然亡くすということ
・学校側の危機意識の低さと対応策などの準備不足
・事故対応の場当たり感
・事故後の説明内容、態度の問題
・情報不開示(隠蔽)
・監督省庁が強制力を持っていない現状


語ってくれた遺族の方たちは、話をすることで、また話の準備をする中で、思い出したくない現実と向き合い、身を切る思いでステージに立ってくれていたのだと思います。

涙なしには聞けない訴え、会場にいた人で、心を動かされなかった人は誰もいなかったはず。

日本体育大学という、これからスポーツ指導者や学校の保健体育の教員になる人が多い場での、この企画、大いに意味があったと思います。

マスコミ報道では伝えきれない未編集の生の声を聞かせてくれました。


学校教職員に求められる救命対応訓練


こうした話を聞いて痛切に感じるのは、学校側の準備の甘さです。自覚が足りないと言ったら、それまでですが、なんでそこまで他人事風でいられるのだろうと不思議でなりません。

これだけ事故が起きていて、報道されていて、事故検証報告書が出されているこの時代、なぜ?

学校の先生達はおっしゃいます。「私たちはちゃんと訓練を受けているので大丈夫です」と。

しかし、事故が起きて検証委員会の報告で「市民レベルの知識・技能すらなかった」と書かれてしまうことがあまりに多い現状。

もちろん緊急事態ですから、訓練と同じようにスムーズにできるはずがないというのはごもっとも。

しかし、慌てるのはわかっているわけですから、

・パニックになることを前提としたトレーニングをしていますか?
・準備体制・システムを構築していますか?


ということなんですよね。


パニックを想定したトレーニングをしているか?


医療従事者でもなんでもない教員個人の能力やパフォーマンスに限界があるのは当然のこと。しかし、子どもの命を守るためには最低限やらなくちゃいけないことがある。

それを個人でカバーできないのであれば、システムでカバーする。それが学校における救急対応です。

一般市民と同じ立場でマネキン相手に決まりきった動作を繰り返させる救命講習を受ければ対策が十分だと思っているのだとしたら、おめでたいとしか言えません。

このあたりは、学校教職員はちゃんとわかっているはずです。

学校事故も検証報告を見れば、市民レベルの救急対応訓練では不十分で、教職員連携を含めたシミュレーション訓練を行うべきだという点は、今はほぼ必ず書かれていることだからです。

実際の動きや職員連携、さらには慌ててしまうと思うようなパフォーマンスが発揮できないことなどを体感・実感できるのがシミュレーションです。

こうして意思決定や問題解決能力を鍛えるいわゆるノン・テクニカルスキルのトレーニングをしない限りは、現場で動けることを期待するのは難しいでしょう。

通報ひとつにしても、「あなた119番!」の一言で終わらせちゃダメですよね。

例えば、体育館で教員一人、児童30人という状況下で、どうやって救急要請したらいいか?

ここで傷病者をろくすっぽ評価せずに、通報のためにその場を離れた教員が、救命処置の開始遅れを指摘されて訴追されているケースもあります。(この対応の是非はここでは触れません)

問題は、救命訓練を消防等に丸投げしているところだと私は考えています。

依頼された側は、普通救命講習 I、II、III のような規定講習をこなせばいいと考えがちですが、現場対応としてはそれでは不十分であるということをどれだけ理解しているか?

このことがわかるのは、学校現場にいて各種事故報告書の提言を知っている教職員です。ですから学校側から、ただの規定講習だけではなく、現場に即した内容のアレンジを依頼・相談していく必要があるのではないでしょうか?


つまり、学校教職員向けの救命講習は、規程の汎用プログラムでは足りない、ということです。


定形コース受講ではノン・テクニカルスキルは鍛えられない


これは学校教職員向けに作られているとも言われているアメリカ心臓協会のハートセイバーCPR AEDコースにしても同じです。

衛生管理や練習量という点では、日本の一般的な救命講習よりはしっかりした内容と言えるかもしれませんが、現場での実践対応まではプログラム化されていないのは変わりません。


もし、2段階に分けるなら、汎用講習+現場シミュレーション。

このふたつが必要です。

もしくは、このふたつをシームレスにつなげた研修を企画すること。


救命講習は、学校における避難訓練と同じです。学校の構造やシステムを知らない第三者に避難訓練を依頼するとしたら、おかしいですよね?

同じように学校における救命講習も本来は学校教職員が自ら企画していくべきものです。

どうしても医学的な判断や機材借用があるため、外部機関を頼ることになると思いますが、それを丸投げするのはおかしい。

そんな考え方にシフトしていかなくてはいけません。

同時に、救命講習を相談・依頼される側としては、規程コースをこなすだけではいけないというプロとしての自覚を持っていただきたい。



この考えは以前からかわりませんが、今回、学校事故でお子さんを亡くしたご遺族の悲痛な声を聞くにつけ、新たにこの思いを強くしました。


関連過去記事:
子どもが倒れた! 学校の先生は傍観者でいいんですか?
http://aha-bls-instructor.seesaa.net/article/teacher-CPR.html



2019年09月16日

応急救護、責任を問われる人と問われない人

心肺蘇生法は、結果がどうであろうと責任は問われません。

という話をよく聞きます。


一般市民向けの救命講習の中で聞くのであれば、いいのですが、これをインターネットのSNSで発信すると少しおかしなことになります。

だって、現実問題、救護活動を巡っての裁判、よく起きてますよね?

賠償金いくらという民事裁判だけでなく、業務上過失致死疑いでの送検も珍しくありません。(送検というのは警察が刑事責任ありと判断して、裁判準備を進めるために検察に移管することです。裁判結果によってはいわゆる前科になるやつです。)



大分の給食死亡事故 支援学校の元校長ら書類送検



大分県別府署は5月7日、業務上過失致死の疑いで県立特別支援学校の元校長ら4人を書類送検した。同校の当時17歳の女子生徒が2016年9月15日に、給食を喉に詰まらせ死亡した事故をめぐり、女子生徒の両親が告訴していた。

送検されたのは当時の校長、担任教諭、養護教諭ら4人(うち1人はすでに退職)。容疑は担任教諭が見守り業務を怠ったほか、養護教諭らが適切な応急措置を取らず、校長がそれらの監督指導をせずに、女子生徒を窒息死させた疑い。女子生徒は担任教諭が席を立っていた間に床に倒れ、救急搬送されたが、翌10月2日に死亡した。調べに対し4人は容疑を認めているという。(教育新聞 2018年5月7日)


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心肺蘇生や応急手当て、救護活動を巡って責任を問われないなんて、嘘じゃん! って思いません?

それでも、応急手当てのインストラクターさんたちは、今日も「訴えられません、大丈夫です。勇気を持って行動して!」と喧伝しています。

さて、この点を私たちはどう理解したらいいでしょうか?


話は簡単。

安全管理に注意義務がない人は責任を問われないのに対して、注意義務がある人は実施内容(実施しないことも含めて)に責任が発生するということです。

たまたまその場に居合わせた一般市民が善意で救護にあたった場合、その過誤については問われないことが刑法と民法で規定されています。

当たり前ですよね。

足を止めて、手を貸してくれただけでもありがとう! という世界です。


しかし、学校教職員や施設警備員、スポーツインストラクターのような、その場の安全管理に一定の責任ある立場の人が、しかるべき行動をしなかったら、業務上の注意義務違反を問われる可能性は高いと言えるでしょう。

また、実施した内容についても、通りすがりの立場の人よりは高い水準を求められるのも否めないでしょう。

備えている立場なのですから。



一般市民向け救命講習の中で、「責任は問われません。自信がなくてもいいから、勇気を持って一歩踏み出して!」ということはアリとしても、学校教職員向け講習で同じように言ってしまうのは問題。

むしろ「責任が問われる可能性は否定できません。ですから、自信が付くまでしっかり練習をしましょう」というべきでしょう。


応急手当指導員の皆さんは、この違いをきちんと認識しているでしょうか?


まだ、誰が見ているかわからないSNS上で、対象を限定せずに、心肺蘇生法は実施責任を問われない、と喧伝するのも、不幸な事故を招きかねないという点で、危ないなぁと思って、見ています。


いずれにしても、「救命できなければ」責任が問われるという言い方は適切ではないと思います。

基本的に助からないのが普通ですから。救命できることのほうが稀です。

助からないという結果ではなく、状況・立場の範囲内できちんと準備がされていたか、取るべき行動を取れていたかが焦点となります。

最善を尽くしました、と言えるかどうか。

備えがなければ、その時点ですでに誠実さに嫌疑がかかり、ほぼ負けが決まっています。




2017年11月15日

救命法指導員は、その重い責任を自覚すべし−「人工呼吸の省略」編

心肺蘇生法とかBLSのインストラクター/指導員って、責任重大で、実はハイリスクな仕事なんじゃないの? という話を2つほど書こうと思いますが、まずは人工呼吸の扱いについて。



人工呼吸を行わなかったことが過失となった例

ちょっと前に、耳鼻科クリニックでの小児の心停止対応で、胸骨圧迫しか実施せず、人工呼吸を行わなかったことが過失ありと判断された裁判がありました。

胸骨圧迫のみの蘇生法の実施が、過失であるとされた、ある意味、衝撃的な案件です。



女児救命措置に過失 診療所に6100万円賠償命令

(河北新報 2016年12月28日)
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201612/20161228_13014.html

医療過誤事例報告 適切な心肺蘇生を行わなかった過失を認めた事例

(坂野法律事務所 Web)
http://www5b.biglobe.ne.jp/~j-sakano/sosei1.html



このクリニックでは、2名の看護師と1名の医師で対応したようですが、唯一、BLS訓練を受けていた看護師が胸骨圧迫を行ったものの、他の誰も人工呼吸は行ないませんでした。

実は、このクリニックにはバッグマスクが置いてなかったので、やろうと思ってもできなかったという側面もあるのですが、被告側は「胸骨圧迫のみによる蘇生が推奨された時期もある」と述べて、人工呼吸をしなかったことの正当性を訴えています。


このことから、その耳鼻科クリニックの医療従事者は小児救命における人工呼吸の重要性を理解していなかった、もしくは誤解していた可能性が考えられます。


ここで考えたいのは、最近、世間で広まっている「人工呼吸はしなくていい」という一般市民向けの啓蒙情報です。



この耳鼻科クリニックのスタッフがどこでBLSトレーニングを受けたのかはわかりませんが、もし、「いまは人工呼吸はしなくていいんだ」と誰かに教わって、それを鵜呑みにしたゆえに起きたのが今回の事案だとしたら、、、、


救命法の指導員の言うとおりにしたら、訴えられて負けた。。。


そんな可能性を想像するとゾッとします。人の生死を分ける行為とも言えるBLSを教える立場の人にも大きな責任があると言わざるを得ません。



胸骨圧迫のみの救命講習プログラムの確立などで、心肺蘇生法を教えることの敷居が低くなったのはいいのですが、半面、救命法指導員の質という点では、極めて危ういもの感じています。

胸骨圧迫のみの蘇生法は、一言で言えば素人向けのやり方であって、職業人が業務上、行うようなものではありません。

指導員はそこをきちんと理解しておく必要がありますし、指導員を養成する立場の人は、その限界を正しく伝える責務があります。

例えば、胸骨圧迫のみの救命講習を医療従事者向けに開催するとか、保育士、小学校の教職員に教えるというのは、筋違いの話だと思っています。


今回、「過失あり」ということで賠償責任を負ったのは医療法人ですが、日本の蘇生法ガイドラインの中では、子どもの蘇生に関しては、医療従事者が学ぶものと学校教職員などが学ぶものの区別はされていません。

そのことからすると、学校現場においても、今回のクリニックと同様の裁判が起こり、人工呼吸をしないことが過失と見なされるような事案が発生することも、将来的にありえない話ではありません。


責任のない立場である一般市民に教えることとと、学校教職員や医療従事者のように注意義務が発生する立場の人に教える心肺蘇生法をきちんと区別しないと、善意から良かれと思って教えたことでも大変なことになるかもしれない、そんな覚悟が救命法指導員には必要です。


2015年08月02日

プール監視員に求められるコンピテンシーとは?

昨日、プールでの子どもの死亡事故が報じられました。

小1男児、プールで溺れ死亡 身長より深い所、監視員は1人 奈良・橿原
「小1男児、プールで溺れ死亡 身長より深い所、監視員は1人 奈良・橿原」
産経ニュース


まず言えることは、プール事故をゼロにすることはできません。交通事故がゼロには絶対にならないと同じです。しかし、イデアとしてゼロを目指して減らす努力を続けていかなくてはいけません。

足がつかないプールに一人で入っていたということで保護者の監督責任とか、施設としての監視体勢や、監視員の教育や能力など、いろいろと言われていますが、この事件をきっかけにプール監視員に必要なコンピテンシー(能力)とシステムについて、最後は病院内の安全システムと対比させながら考えてみたいと思います。


夏場になると、プールの監視員のバイトの募集が多くなります。
大学生(高校生も?)のアルバイトとして珍しくないものと思います。

だいたいCPRの訓練は受けているようで、素人考え的には心肺蘇生法を心得てくれれば安心とも思いがちです。

今回の事故も別の報道によれば監視員による心肺蘇生が行われたことが書かれており、その責任は果たしたといえるかもしれません。

でも、それだけでよかったのか?

監視員の仕事は、いうまでもなく監視です。救命が本義ではありません。

監視の延長として救命処置があるだけ。

救命処置は最後の手段で、それを使うような事態にならないように、予防という意味で監視しているわけです。

であれば、プール監視員が研修等で身に付けるべき最大のスキルは、「危険を察知する視点と気づく能力」を鍛えることです。

このあたりを、バイトの監視員にどのように教育しているのかは私は知りません。



おそらくプール監視員の安全管理業務の中で、技術的に単純で訓練・習得が容易なのが、心肺蘇生法です。

それよりはむしろ、異変に気づいて介入する判断をするノンテクニカルスキルや、他の監視員やプール管理者、119番通報をするといった、連絡・報告の判断とスキル、溺れた人を引き上げる方法といった方がよっぽど難しく、訓練の仕方も難易度が高く、習得に時間を要するはずです。

こういったプール監視員の職業訓練がどのように行われているのか、非常に気になるところです。


(不可抗力である場合があったとしても)目の前で人が命を落とし、そこに自分が少なからず関与するという重大な責任を伴う仕事を、時給数百円の学生短期アルバイトでまかなう現状。

消費者としては、コワイなと思うのが庶民感覚だと思います。

平成24年6月、警察庁から、「プール監視業務については、プールの所有者から有償で委託を受けて行われている場合は、警備業務に該当する」という通達があり、有料プール監視にあたっては「警備業の認定が必要」ということになりました。

これがまた中途半端で、プール監視業の責任と安全性に寄与するものとなるかと思いきや、無償ボランティアであればいいとか、施設職員が監視を行うには該当しないとか、一貫した安全向上には必ずしも繋がっていないような感じです。


いまでも、学校の夏季プール開放に監視員として父兄が駆りだされているという現状を見聞きします。

命に関する業務を素人に丸投げという管理体制が問題と思いますが、じゃ、プロの警備員を雇う費用をどうするのか、というのが現実問題なのでしょう。

リスクを自分たちで負って、子どもたちにプールを楽しませるというのが基本的な考え方だと思いますが、これがすべての親御さんの総意となっているのかは、また問題かなと思います。



さて、とりとめもなくあれこれと書いてきましたが、まとめるとこんな感じです。

 ・プールの監視員は事故を防ぐのが仕事
 ・危険事象を見逃さない「気づく」力を鍛える必要がある
 ・事故を100%防ぐことはできない。防げなかった事故には報告連絡とCPRで対応を


これって、病院での急変対応と同じだと思いませんか?

院内心停止の7割程度は突発的なものではなく、防ぎ得るものと言われています。

ですから、BLSやACLSは必要なものであっても、それは奥の手であり、訓練として最大限に力を注ぐべきものではない。

BLS訓練をしているから大丈夫、というのでは、今回のプール事故と同じかもしれません。防げるものを防ぐという訓練をしてますか? という話です。


つまりどんな業界であっても、安全管理体制というのは、事故が起きてからの対応だけではなく、それ以前の予防部分をどれだけ本気で考えていたか、ということなのです。



小1男児、プールで溺れ死亡 身長より深い所、監視員は1人 奈良・橿原

 1日午前11時55分ごろ、奈良県橿原市雲梯町の橿原市総合プールで、大阪府東大阪市池之端町の小学1年の男児(6)が溺れ、同市内の病院に搬送されたが、死亡した。

 奈良県警橿原署によると、男児は午前9時ごろ、母親やいとこら7人でプールを訪れた。子供らだけで深さ約1・3bの地点で遊んでいたところ、姿が見えなくなり、近くにいた女性(41)がプールの底に沈んでいるのを発見。監視員らの蘇生措置を受け、病院に運ばれた。男児は身長約120a。

 プールを運営する橿原市スポーツ協会によると、プールの深さは1・1〜1・3メートル。流水プールとつながっており、事故が起きた地点も緩やかな流れがあるという。年齢や身長制限はなく、当時、このプールには監視員が1人だった。ところです。

(産経ニュース 2015.8.1 22:56)





2015年01月11日

東京都が提唱「バイスタンダー保険」にはらむ大問題

1月9日、バイスタンダー保険なるものの報道がありました。

都、「バイスタンダー保険」全国初の導入へ 市民に救護促す

都、「バイスタンダー保険」全国初の導入へ 市民に救護促す
2015/1/9 13:52 (日本経済新聞 電子版

 東京都は9日までに、救急現場に居合わせた人(バイスタンダー)が応急手当てをした際、傷病者に誤ってケガをさせた場合の治療費を補償する「バイスタンダー保険」を来年度から導入する方針を決めた。手当てに当たった人の負傷なども保険の対象とする。都によると、自治体が同保険を採用するのは全国で初めて。


いっけん望ましい制度のように受け止められがちですが、深刻な問題をはらんでいる「事件」に思えます。

これまで私たち救命法のインストラクターは、「一般市民が偶発的に善意で行う救命・救護処置では、結果や相手にケガをさせる事態になっても責任を追求されない」というスタンスで教えてきました。

その根拠は、民法第698条「緊急事務管理」と刑法第37条「緊急避難」にもとづいて、「市民が救急蘇生を行っても刑法上は、緊急事務管理または緊急避難が成立して違法性が阻却される可能性は高いと考えられる」とJRCガイドライン2010(日本の救急法の原点)に書かれているとおりです。

これまでも、米国のような「善きサマリア人の法」を制定すべきだという議論はなんども起きてきました。しかし、その度に、上記のように、日本では既存の刑法、民法のレベルですでに市民救助者は免責されているから、米国と違って新たな法制度を作る必要はないという言われてきました。


この前提で私達はやってきたわけで、それが正しければ、「傷病者に誤ってケガをさせた場合の治療費を補償する」保険なんぞは必要ないわけです。

それが、今回、東京都という行政がバイスタンダー保険なるものを提唱しているという事実。

それを私達はどう理解したらいいのか?

やっぱり、応急救護で失敗したり、ミスしたら責任を負わされるんじゃん!

ってことになりませんかね?


これ、いままでの救急法の基本前提を覆す由々しき事態だと思いませんか?

これを推進した場合、善意の応急手当であっても責任追及されるというのが前提となり、バイスタンダー保険に入っていない人は応急救護には関わらないほうがよい、という社会構造が定着することになりかねません。


これが学校の先生とか、スポーツインストラクターなら話はわかります。

でも学校の先生やスポーツインストラクターは、通りすがりの一般人、つまりバイスタンダーとは違います。

このあたりを守る保険というならわからなくもないのですが、バイスタンダーという表現は望ましくないと思います。そもそも学校の先生とかは、ふつうの傷害保険の特約でこのあたりはカバーされているはずです。


今回、このような報道がありましたが、バイスタンダー保険に相当するものは、任意の傷害保険としてはもともと存在しているわけで、この報道が示したものは、バイスタンダーであっても責任を負わされるぞ、というメッセージだけに思えてしまいます。

この先の動向を追っていきたいと思います。


なお、今回、東京都が導入を決めた論拠となったのは、東京消防庁のホームページで公開されている、

東京消防庁救急業務懇話会答申書
「バイスタンダーとして、誰もが安心して救護の手を さしのべるための方策はいかにあるべきか」

http://www.tfd.metro.tokyo.jp/kk/kk_31.pdf

と思われます。

これを読むと、ケガをさせたときの法的責任はすでに免責されているという点はきちんと示されていて、むしろ、救護によって救助者自身がケガをしたとか、血液感染病原体に感染したとか、そういうあたりに主眼が置かれているように読み取れます。

また要救助者にケガをさせてしまった場合に関しては、民事訴訟が起きた場合の裁判費用の負担補償が言及されています。(まあ、訴える自由は誰にでもありますからね)

それが報道の段階で、本来はおまけ的だったかもしれない「傷病者に誤ってケガをさせた場合の治療費を補償する」が前面にでてきて、中身がニュアンスとして入れ替わってしまったような印象を受けます。

報道バイアスみたいな部分もあるのかなという気がします。

少なくとも、救急法を考えうえで、責任のある市民(学校教職員や保育士などの職業人)と、一般市民(通りすがりの人)を区別していないことが混乱の大本なのはありそうです。

今回の議論でこのあたりが整理されるといいなと思っています。




2014年06月15日

駅員が業務中に行った救命行為を消防が表彰、その背後に見える世論について

昨日のニュースで、駅職員がAEDで救命をして消防から表彰されたという報道がありました。

勇気づけられる良いニュース、こういうことが増えていくといいなと思った次第ですが、その反面、ちょっと複雑な思いもありました。

そもそも、これは表彰されるような出来事だったのかな? という点です。

駅員が駅構内で業務時間内に行った救命処置。

駅にAEDが配備されている以上、その職員は業務として救命の訓練を受けており、その職務範囲にも救助は含まれているという状況です。

つまり想定された状況下で、ごく当たり前に業務を遂行しただけ、とも言えます。

通りすがりの人が善意で救助をしたというのとは少しニュアンスが違います。

例えるなら、「病院勤務の看護師が入院患者の突然の心停止に対してAEDを使って救命に成功、消防から表彰された」というのに近い話かなと思うのです。

確かに駅員さんは医療従事者ではありません。しかし、心肺蘇生法は医療行為ではありません。特殊技能でもなく地球市民としての常識レベルの話。

看護師の例が分かりにくければ、例えば、老健施設で業務中に介護士がAEDで救命を行った場合、表彰されるような行為なのか? と考えてみてもいいかもしれません。



ここで焦点にしたいのは、表彰を決定した 消防側の意識 です。

駅員が業務として行う蘇生行為と、通りすがりの市民が善意で行う蘇生をまったく区別していないんだなって思ってしまうわけです。

そして、それを報道するマスコミもこのあたりを疑問に思わないんだなって。


今回の駅員さんたちの素晴らしい連携と行動に難癖をつけるつもりはありません。

救命をめぐる世論の認識に関して、ひっかかりを感じるなという指摘でした。








2014年04月15日

心肺蘇生をしなかった・・・安全配慮義務に反する過失

気になるニュースをクリップ。

「高校部活動中に生徒死亡、遺族が県提訴」神奈川新聞




高校部活動中に生徒死亡、遺族が県提訴
2014.04.03 03:00:00(神奈川新聞

 県立追浜高校(横須賀市)で部活動中に男子生徒が死亡したのは顧問の教諭が適切な蘇生措置を取らなかったためとして、両親が2日までに、県に慰謝料など約4200万円の損害賠償を求める訴訟を横浜地裁に起こした。提訴は1日付。

 訴えによると、昨年2月、同校3年だった男子生徒はバドミントン部の部活中、突然倒れて「なんかふらふらする」と話し、意識を失った。養護教諭でもある顧問は、あおむけにして約5分後に救急車を呼んだが、救急隊が到着するまでの約23分間、自動体外式除細動器(AED)の使用など心肺蘇生の措置を取らなかった。救急隊の到着時には男子生徒はすでに心肺停止となっており、病院に搬送されたが約1カ月半後に死亡。死因は特発性心室細動だったという。

 両親側は「速やかにAEDを使用したり、人工呼吸や心臓マッサージをしたりしていれば、救命できた」と主張。安全配慮義務に反する過失があったとして、国家賠償法に基づき、県に賠償を求めている。

 県教育委員会は「訴状を見ていないのでコメントできない」としている。両親の代理人は「どこの学校であっても、緊急時に最低限の対応は取れるようにしてもらいたい」と話している。



適切な救命処置をしなかった、という訴訟のニュース、目立つようになってきましたね。
去年も、小学校でAEDを持ってきたのに使わなかったという過失を問う訴訟がありました。

こういう話題を取り上げると、「ただでさえ忙しい教員、それも医学の素人にそこまで求めるのは酷だ」とか「かえって萎縮して手出しする教員がいなくなる」とかいう人がいますけど、今回の記事の最後の言葉をどう捉えますかね?

「どこの学校であっても、緊急時に最低限の対応は取れるようにしてもらいたい」

最低限の対応。

心肺蘇生法を高等技術と考えるか、人間としての常識と考えるか。

自分の子どもだったら、どうでしょうね。

他人ごととして考えるか、自分の問題として考えるか、そんなところも温度差になっているのかなと思います。

評論家の意見と当事者の意見といってもいいかな。

そのうち、このようなニュースはニュースにもならないような時代がもうすぐやってきます、きっと。



2014年02月28日

疑わしければ、胸を押せ!

BLSがらみで気になったニュース。

楽天2軍キャンプで選手倒れ心臓マッサージ…あわや大惨事で厳重注意



楽天2軍キャンプで選手倒れ心臓マッサージ…あわや大惨事で厳重注意

楽天の柿沢貴裕外野手(19)が今月中旬、沖縄・久米島での2軍キャンプの練習中に倒れ、心臓マッサージを受けていたことが26日、分かった。球団は大久保博元2軍監督(47)、2軍コーチ陣と、トレーナー陣に厳重注意した。

柿沢は今年から内野にも挑戦しており、特守で大久保2軍監督のノックを受けていた。その最中にグラウンドで倒れ、駆けつけたトレーナーから心臓マッサージを受けた。その場で意識は取り戻したが、救急車で病院に運ばれ検査を受けた。結果は脱水症状で、点滴などの処置を受け、1日で退院。現在は練習に復帰している。

球団幹部が久米島に行き事情を確認。大久保2軍監督とコーチ陣にリスクマネジメントの強化を、トレーナー陣に的確な水分補給の必要性を伝え、厳重注意とした。




このニュース、いろいろな着眼点、見方がありますが、私が注目したのは、胸骨圧迫(心臓マッサージ)をしたというところ。

結果的には、心肺停止ではなく、脱水による一過性の意識消失だった模様で、胸骨圧迫は不要でしたが、緊急事態を認識して、なにはともかく行動したという点は評価されるべきかなと思います。

以前、日本国内でのバレーボールの試合で外国人選手が突然卒倒したことがありました。関係者はCPRをせず、ただ担架で運び出す様子が米国ニュースで取り上げられて、「なぜ日本人はCPRをしないのか?」非難されたことがありました。(こちらを参考にどうぞ)

そんな時代からすると、とにかく胸を押すんだ! という反射的な行動ができるようになってきたことがすばらしいなと思うのです。

2008年に発表された米国のHands only CPRのプロモーションビデオを見ると、目の前で人が卒倒したら、まず緊急通報(119番)して、いきなり胸を押しています。

大丈夫ですか? とか、呼吸確認すらしないのです。



それでいいんです、基本は。

「疑わしければ、胸を押せ!」

「つべこべ言わずに胸を押せ!」

です。

ガイドラインやCoSTRの2010年版を見ると、「疑わしければ、胸を押せ!」を後押しするかのように、間違って胸骨圧迫をしてしまった事例、200例あまりを検討した結果、骨折とか問題が起きたのはたった2%に過ぎないから、大丈夫だよと書かれていたりもします。


ということで、このニュースが、バイスタンダーなど、対応義務のない市民救助者にとって、自信や励みになるといいなと思っています。








以上をメインメッセージとして、おまけで別の見方をすると、今回はトレーナーというCPRの訓練を受けている、対応義務のある市民による救助でした。

なぜ、そんな訓練を受けた人が、心停止を見誤ったのでしょうか?

慌てているとか、いろいろ要素はあるとは思うのですが、心肺蘇生法の訓練にも問題があったんじゃないかなという気がします。

記事を見るかぎり今回は、脱水による意識障害だったようです。急に倒れて呼びかけに反応がなかった、そして呼吸がなかったから胸を押し始めた、のでしょう。

市民向けプロトコルでは、反応なし+呼吸なし(or死戦期呼吸)で、CPR開始です。

結局、反応も呼吸もろくすっぽ確認できてなかった。

でも、それはいわゆる救命講習を受けていても無理です。そもそも根本的に訓練の仕方が間違っている気がするんです。

だって、マネキンは反応あるわけないし、息をしているわけもないから、それを見て呼吸確認できるようになれって無茶だと思いません?

いくらマネキンで練習したって、反応確認、呼吸確認は練習できません。見ている振りしているだけで、実際なんにも見ていないというのが関の山。

だから、本当に使える技術を習得させたいのなら、反応がある場合とない場合、息をしている場合としていない場合を弁別させる訓練が必要なんです。

なにをやるかって、簡単。

生きている人間に演技をしてもらって、見分ける練習をする。

それだけです。

それでも、もちろん難しいと思いますよ。間違えることだってあります。それはそれでいい。

でもマネキンで呼吸確認の練習させたって、それってそもそも呼吸確認できるようになること、期待してないよね? と救命インストラクターさんに聞きたい。






なんて、ことをこのニュースを見て考えました。




2013年10月04日

「AED不使用で死亡」損害賠償訴訟

「AED不使用で死亡」長岡市に損害賠償請求(新潟県)という報道がありました。



この報道、いろんな視点から考えることができます。

AED信仰というか、AEDがあれば助かるものだという一般の認識がどうなのか?

学校教職員はなぜ一般的な緊急対応手順に従ってAEDを使わなかったのか?

学校教職員は、救命処置を適正に行わなかった責任があるのか?

学校教職員が受けていたAED訓練の内容と時期は適切なものだったのか?


詳しいことはわかりませんが、この報道を見る範囲において私の感想は、学校の先生なら、訴えられて当然だよなという点。

学校の先生は「一般市民」とは違いますからね。

救命処置はしなくちゃいけないし、その中身についても一般市民以上に一定の水準は求められて当然。

だから、もともと学校教職員向けの心肺蘇生法講習は一般市民向けと同じものであってはダメ。

そういう認識が学校教職員自身にあったのか、またそのAED講習を指導した指導員にあったのか?

私的にはその学校職員に対して救命講習を開催したインストラクターの責任もある気がする。


こういう訴訟が起きると、AED普及にマイナス効果になるとか言う人もいるけど、私はどんどん訴えが起きたらいいと思う。そうして対応義務がある職種、というのが浮き彫りにされていけば、、、、

対応義務のある市民、というジャンルの確立。大切です。