救命処置は、
・一般市民
・救護責務がある市民
・医療者
を分けて考えるべきだと。
アメリカでは、その階層分けが昔からふつうでした。
日本だと、市民と医療者の2分しかしないから、いろいろおかしな話になっているというのは10年以上前から感じ、訴えてきたところです。
当時は、AHAインストラクターは身分を明かしてはいけない、みたいな変な時代でしたし、インターネットでの情報発信もHTMLが必要だったりしたせいで、ネットの世界でも、学校の先生は一般市民じゃないよね? みたいな論調は稀有でした。
それが今ではSNSのおかげで、あたりまえのことをあたりまえに発信する人が増えてきてうれしい限りです。
しかし、昔もそうでしたし、今でもいるんです。
学校の先生は救命処置を「ちゃんとできる」ようなトレーニングが必要で、一般市民向け研修でお茶を濁すようじゃダメだよ、と言うと、血相をかかえて猛反対してくる人が。
今までも、業界では有名な「意識の高いイキリ救命士」からはさんざん叩かれましたし、訴訟をちらつかせるなんて脅迫商法だと言われたり、ただでさえ酷使されている教員をどこまで追い詰めるんだとお叱りを受けたり。
ただ不思議なことに、当の学校教職員から直接クレームを受けたことは一度もないんですよね。
1.学校教職員は管理下で事故が起これば対応する責任がある
2.注意義務の下、一定水準の行動が期待されている
3.見て見ぬ振りはできない → 逃げられない
4.実際に訴訟もいっぱい起きてるじゃん
5.だったら、本気でちゃんと練習しようよ
ということを言っているだけなんですけど、なんだか知らないけど、過剰に猛反対されるんです。
なんなんでしょうね? まったくもって意味がわかりません。なにかおかしなこと、言ってます??
学校の先生もただの一般市民ですよ。素人レベルのことができれば大丈夫ですからね〜
って喧伝することになんのメリットがあるんですか?
そんな言葉に騙された教職員がバリバリに訴えられる現実、どうしてくれるんでしょう?
それに命を落としたお子さんはどうなるの? その家族は?
道端で倒れた子ども、その場にいた大人が見て見ぬ振りして通り過ぎた人がいても誰も責任は追求しません。だって無関係なんですから。
でも学校で起きた心肺停止事案は違うでしょ?
学校の先生は忙しいんです。普段の業務に加えて時間をかけて救命処置訓練をしろなんて無理ですよ、みたいなことを言ってくる人はいますが、忙しいのは部活指導のせいですかね?
部活の指導と人命救助訓練。
比べるのもバカバカしい。
必ず救命できなきゃダメというのは無理ありすぎ! という声もよく届きますが、それこそ素人の幻想、戯言。
CPRをやれば助かるなんて思ってるのはド素人です。
現実社会では、奏功して助かるほうが圧倒的に少ないって知ってますか?
実際の裁判例をみればわかりますが、助かったかどうかじゃなくて、備えていたか、やるべきことをやったかが焦点。
だから、ちゃんと備えましょうと言っているわけです。
慌てるのは人間だから当然。想定し、準備し、最善を尽くしたか?
結果ではなく、日頃の準備と心構えを問題としているのです。