2008年05月06日

心肺蘇生後の心的外傷(PTSD)〜バイスタンダーCPRの問題

バイスタンダーCPRを巡って、とても興味深い、というか考えさせられる論文が発表になったようです。

航空機内での心肺蘇生の実施により心的外傷を負った1例
総合病院国保旭中央病院神経精神科 大塚祐司
(宇宙航空環境医学 Vol. 44, No. 3, 71-82, 2007)


内容を簡単に書きますと、以前にもここで取り上げたことがあるベトナム航空機内での日本人バイスタンダーによるCPRの成功例に関する話です。

CPRは功を奏して傷病者はほとんど障害を残すことなく社会復帰したものの、この事例は国際的にも大きな波紋を呼びました。

というのは訓練を受けているはずの客室乗務員は一切手をかさず、日本人女性がたったひとりで1時間近くに渡りCPRを続けたという点。

それと他の乗客たちが野次馬となり、手をかさないばかりか無遠慮に蘇生現場の写真やビデオを撮り、「テレビと同じのをやっている。」「あの人が止めたら死ぬんでしょ?」などと心ない言葉を浴びせ、誰もそれをコントロールできる人がいなかったという点。

バイスタンダーCPRが抱える社会的な問題を一気に全面へ押し出したかのような事案でした。

今回のレポートは、その果敢にもバイスタンダーCPRを完遂した日本人女性が、その後抱えることとなった心的外傷について報告したものです。




ガイドライン2000のときにも、蘇生行為後の施行者には心的外傷(PTSD)が生じる可能性があり、それは自然な反応であり、それを支えるシステムが必要ということが書かれていました。

これは医療従事者であってもしばしば抱える問題であり、それがましてや人の生死とは日常的な関わりがない一般市民によるバイスタンダーCPRであれば、とても大きな問題です。

こうした問題は本来はCPR普及教育と合わせてきちんと取り上げるべきだと思いますが、残念ながら、日本ではそのような内容を含めた心肺蘇生法教育プログラムはAHAも含めてほとんどありません。

私が知っているのは、唯一、メディックファーストエイド(MFA)だけです。

(強いていうならAHA ECCトレーニングプログラムの中では、ハートセイババー・ファーストエイド Heatsaver Firstaid が、比較的この点に踏み込んで作られているように思います。)

これまでいろいろな団体の蘇生講習を受けた中でも、CPRを現実問題として捉えそれを的確に教えるという点ではメディックファーストエイドMFAはずば抜けていたと思います。

日本に従来からあった心肺蘇生法もそうですけど、善意のCPRはしてあげてあたりまえ、みたいな前提から始まっていますが、MFAは違います。

「ここで身につけたCPR技術を使う使わないはあなたの自由」

まず最初にこの点が、はっきりと示されます。

もし助けたいと思うなら、心的外傷や血液感染等のリスクがあることはわかった上で、このような注意点を守りながら万全の体制で臨んでね、というスタイル。

この、選択肢があるということが最初に提示されるのが、私には衝撃でした。

従来の日本の心肺蘇生教育は、たいていは練習時間が不十分だし、なにがなんでも助けなくちゃいけない、中途半端なことをしちゃいけないという威圧感をもって教えられるから、結局のところ、「自分には本当にできるのかなぁ」という不安感をもって終るパターンが圧倒的に大かったっと思います。

それからすると、MFAはそのアプローチの仕方だけで、「自分でもできそう」「ちょっとくらいお手伝いできるかな」という気負わない人を育てるという点で、ぜんぜん方向性が違います。そして、それは極めて実践的だと思います。

さらにMFAのすごいところは、アフターショック・プログラムというCPR施行後の心的外傷をフォローするプログラムも提供しているところ。この点では、他の蘇生教育普及団体とは完全に一線を引いています。

CPRはとにかく世間に広めることが何より大切です。
それゆえに美化してというと言い過ぎですが、ある意味理想化して教えることが一般化していますが、それがはたしていいことなのかという問題も出てきそうな気がします。

いまはまだいいと思うのですが、CPRに関して社会が成熟してきたら、今回の事案のようなさまざまな現実問題が露呈してきます。

そうなったときには、アフターショック・プログラムのようなものはもちろん、群集心理と野次馬コントロールに関するレクチャーや、法的な問題、突然の心停止の予後に関するより具体的な情報など、現在のCPR教育に+αしなくてはいけない問題がいろいろ出てくるんじゃないかな。

心肺蘇生法はサイエンスに基づいて定期的に改訂されています。

それを取り巻く社会情勢によっても、付加的な情報が盛り込まれていく可能性もありそうですね。



posted by めっつぇんばーむ at 12:07 | Comment(4) | TrackBack(0) | AHA-BLSインストラクター
この記事へのコメント
いつも興味深く読んでいます。

惨事ストレスについては災害時の援助者にとって重要な事柄として認識していました。
医療者にとっていざ、大災害が起こったら、突然何の心構えもなく、対応をしなくてはならなくなります。
教育の場でも、災害医療については最近取り組み始めた学校もありますが、私の時代にはなかった分野です。

心肺蘇生にしても、学生の時にとことん練習した記憶もなく、本を読んだだけにすぎません。

消防の講習会、AHAコースをうけて、院内だけでなく、院外でもなんだか自信をもって対応ができそうだと感じるこの頃です。

院外で蘇生の場面に出会うそんな経験はありませんが、もしそんな場面に出会ったら、ストレスを事後に感じることがあるんだということを覚えておこうと思いました。

過去に野球部員男子が練習試合で胸に打球を受け、「心臓振とう」を起こしてた事故がありましたが、今も後遺症があるのは引率教員の救命処置が遅れたためとして、男子とその両親が、県を相手に慰謝料など総額約1650万円の損害賠償を求める訴えを起こしています。

生徒が心臓マッサージをし、その後に到着した救急隊員が除細動を実施、心拍が戻った。
原告側は、野球では球が当たることやそれによる心臓振とうは予測できたのに、引率教員は自動体外式除細動器(AED)を持ち運ばず、救命処置が遅れたと主張。代理人は「胸に打球を受けて倒れた場合、心臓振とうとみて、引率者が人工呼吸や心臓マッサージなどをすべきだったのにこれをせず、安全配慮義務を怠った」としているだそうです。

両親にとってはとてもつらい出来事です。
実際に心臓マッサージをした生徒さんの心はどうでしょうか。きちんとフォローされたのか気になります。


 
Posted by adati at 2008年05月07日 06:39
興味深い論文の紹介ありがとうございます。
勉強になりました。
Posted by Kim at 2008年05月07日 21:34
私もこの内容にはとても関心があります。
自分も同じような経験があるからです。BLSの普及も大事ですが、こういったケースもあるということをどう伝えていくか?また相談をうけたらどう対応していくのか?
ということを考えなくてはいけませんね。
助けることだけに集中してフォローができなければ命は助かっても心の傷が残る人がでるかも・・・・。
医療従事者でもつらいことが市民がその場面に直面したらもっとつらいと思います。
Posted by なお at 2008年05月08日 22:27
adatiさん、コメントありがとうございました。

心肺蘇生法って手技自体はかなり簡単です。
図解されている教科書を見れば、簡単にできそうって思いますよね。
でも実際にやるとなるとタイヘン。
そこでやっぱり練習なんですよね。

「わかった」と「できる」はぜんぜん違うものです。

練習といってもシミュレーショントレーニングですから、実際とは
また違います。でも少なくとも"自信"は付く。とっても重要です。

心のケアという点では、以前こちらにも書き込みくださったナースの方で、
ライフセイバーのメンタルフォローをされているという方がいました。
蘇生という行為に看護の視点を入れるとするなら、このあたりは外せない
ポイントなんだろうなと思います。

大げさな話、蘇生看護学とでも言いましょうか。。。

私たちが考えていかなくちゃいけない分野なのかもしれませんね。

◆kimさん
いつもありがとうございました!

◆なおさん
市民向け蘇生教育にこそ入っていなければいけないテーマですけど、
このあたりは日本の蘇生教育の大御所たちはどのように考えているのか、
気になるところですね。
Posted by めっつぇんばーむ at 2008年05月11日 17:41
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