このニュースのソースとなったのは、金沢大学が6月20日に報道機関向け出した「救急車到着に時間を要する地区では人工呼吸を組み合わせて行う心肺蘇生の自発的実施が格段に優れた救命効果をもたらす!」(PDF:680KB)というプレスリリースです。
この研究は、ヨーロッパ蘇生協議会の機関誌に投稿されたもので、2007〜2012年の総務省ウツタインデータから「市民による心肺停止目撃193,914例」を解析した結果に基づいています。詳しくは上記プレスリリースを見てほしいのですが、金沢大学研究グループが報道機関向けに示す結論は下記の2点です。
過疎地域や高層ビル,交通渋滞の影響で救急隊到着に時間を要す場所で発生した院外心停止例では,近くに居合わせた市民が自発的に従来どおりの人工呼吸と心臓マッサージを組みあわせた心肺蘇生を実施した場合に,脳機能良好1か月生存率(1ヵ月後に自立した生活ができる状態で生存している割合)が他の心肺蘇生に比べ顕著に高くなる
市民に対して蘇生教育を行う立場の医療従事者に人工呼吸の重要性を再認識させるとともに,蘇生意欲を有し質の高い人工呼吸と心臓マッサージを実施できる市民養成とそのような市民を心停止発生現場にリクルートするシステム作りの必要性を示唆する結果となりました。
一言で言えば、「救急隊が到着するまで時間がかかるような場合は、胸骨圧迫だけではなく、人工呼吸も行ったほうが退院生存率が高かった」ということです。だから、「蘇生教育に携わる人は人工呼吸の重要性を再認識するように」ということを示しています。
これは考えてみれば当たり前の話です。
心停止に陥った人に対して心肺蘇生を行う目的は、体の重要器官(主に脳と心臓)に酸素を送り届けることです。胸骨圧迫によって、停まった心臓の代わりに血流を生み出して、血液中に溶け込んでいる酸素を脳細胞と心筋細胞に送り届けて、不可逆的な死を食い止めるというのがそのメカニズムです。
目の前で卒倒したようなタイプの心停止は、主に突然発症する不整脈が原因で、突然に心臓の機能が停止し、ほぼ同時に呼吸も止まります。
この場合、直前までふつうに呼吸をしていましたから、血液中の酸素飽和度は必要量が保たれています。ですから、ただちに胸骨圧迫を行えば、血中に溶け込んだ酸素が体の細胞に送り込まれます。ポイントは一刻も早く胸骨圧迫に着手すること。かつて蘇生法をABCという手順で教えていた時代では、人工呼吸の準備に戸惑うことで着手が遅れ、蘇生率が低くなっていた可能性がありえます。
ゆえに目撃された心停止では、人工呼吸はさておき、直ちに胸骨圧迫を行うことが推奨されます。これがAHAのいうところのHands only CPRであり、大阪のエビデンスが世界を変えた胸骨圧迫のみの蘇生法です。
しかし、すでにお気づきと思いますが、この胸骨圧迫のみの蘇生法が効果を発揮するのは、血液中に酸素が溶け込んでいる、というのが前提となっています。
目の前で卒倒した心停止者に対して胸骨圧迫のみの蘇生法を開始しても、救急車到着まで30分かかったとしたらどうなるか? 血液中の酸素はどんどん消費されていきますから、圧迫開始から数十分も経つ頃には血中酸素飽和度はゼロになる、というのは想像に固くありません。
圧迫により血液循環は保たれたとしても、そこに酸素が含まれていなければあまり意味がない、、、というのはお分かりいただけるでしょうか?
つまり、救急隊に引き継ぐまでに、時間がかかるようなケースでは、胸骨圧迫だけの蘇生法では追いつかないということです。
言うまでもなく、人工呼吸というのは空気中の酸素を肺胞を通して血液に溶けこませる作業です。
ですから、過疎地域や高層ビル,交通渋滞の影響で救急隊到着に時間を要す場所で発生した院外心停止例では人工呼吸と胸骨圧迫を交互に行う従来型の蘇生法が望ましい、というわけです。
つまり今回の報道は、蘇生科学のメカニズムでは自明だった点が、実データとして証明されただけ、といえます。概念としては新しいものでもなんでもありません。
今回、実証された例では、「市民により目撃された心停止」の経過時間に着目された研究ですが、同じように血中酸素飽和度に着目した場合、呼吸原性心停止が多い子どもの場合についても、すでに同様の実証データが出されています。
このことは、胸骨圧迫のみの簡易蘇生法の普及を阻むものではありませんが、少なくとも蘇生法を指導する立場の人が、単純に「人工呼吸は要らなくなった」と早合点したままで指導にあたるのは良くないと思います。
インスタント学習法でいいのは、市民の立場でバイスタンダー対応する人だけであって、少なくとも医療者や救命法指導員は、心停止と蘇生法のメカニズムを理解した上で、対象に合わせた指導をおこなうべきです。
つまり都市部の住民に行う救命講習は、胸骨圧迫のみの方法でいいかもしれませんが、救急車がないような離島での救命講習が同じでいいのか? プールの監視員向けのCPR講習がコンプレッションオンリーでいいのか? 子どもを預かる幼稚園の先生向け講習がAEDと圧迫だけでいいのか、など考えていく必要があります。
最大公約数的な蘇生教育も必要ですが、助けたい誰かが明確な場合は、そこにフォーカスして助かる可能性が最大限になるような救命法指導を行っていきたいものです。