しかし、これまで情報発信し、周知や普及に関わった立場として、やはり言っておかなければならないと判断しました。
何かというと、現在書店に並んでいる「山と渓谷」誌に連載されている「登山で活かすウィルダネス・ファーストエイド」の記事についてです。
あえてこの記事を読んでくださいとは言いません。
私もこれまで宣伝してきたこともあり、すでに誌面に目を通している人に向けてのメッセージとご理解ください。
あえて刺激的な言葉を使って書きます。
快く思わない方もいるでしょう。でもあえて、そうさせてください。
「登山で活かすウィルダネス・ファーストエイド」連載3回目の今回は、ウィルダネス・プロトコルという超法規的措置がテーマとなっています。
一言で言えば、これをやったら医師法違反か傷害罪で逮捕されておかしくない、という危険な医療行為の紹介です。
この特殊性と危険性は冒頭のイントロダクションで書かれています。
しかし、「弱い!」と私は感じました。
また日本の事情を踏まえていない不正確な情報もあります。
この記事は特定WFA普及団体とのタイアップ記事のようですが、団体からの情報提供と本国アメリカの事情だけで書かれている模様。用語の使い方や内容を見る限り、少なくとも日本の医療監修を経た記事ではありません。この点、読み手は注意をする必要があります。
この記事だけを読んで、すぐに実践できるほどの丁寧さはないので、現実、問題が起きることはないだろうと思いますが、「山と渓谷」という硬派な業界トップメディアの影響力の強さを考えると書かざるを得ませんでした。
もっとも本記事がタイアップしている財団法人日本アウトワードバウンド協会主催のウィルダネス・アドバンスド・ファーストエイド(WAFA)講習の中では、日本の法律事情や一般救急法との差異や注意点へのアナウンスは基本的にありません。「アメリカの講習ですから」の一点張りで、日本のフィールドで活動する日本人受講者への配慮はゼロです。(この点は複数の受講者が主催者側に直接質問、問題提起していますが、回答ならびに改善は得られていないようです)
それを考えれば、本記事では弱いながらも、危険性を訴えているのは評価できるのですが、やはり弱いし、正確ではないのです。
1.脊椎損傷の評価
脊椎損傷と頚椎保護、これは大事な割には、日本の救急法ではほとんど教えない部分なので、目新しく感じた人も多いかもしれません。それゆえに常識的判断ができない可能性が高い危険な部分です。
アセスメント(評価)
脊椎損傷が疑われた場合には、STEP3の後に「脊椎損傷アセスメント」を行う。(中略)すべてをクリアした場合は、脊椎損傷の疑いがないと評価し、傷病者の体を動かしてよいとされる。(山と渓谷2011年8月号179ページより引用)
これは、日本の医療関係者や救急隊員が聞いたらびっくりたまげるような内容です。
X線を撮らない限り脊椎損傷の疑いがないとは評価できない、それが日本の医療の常識だからです。
救急隊員は脊椎損傷の可能性がある高エネルギー事故(交通事故や墜落など)では、症状のあるなしに関わりなく、脊椎を固定して搬送します。それを解除できるのは病院についてX線を撮ってからです。
X線以外の方法で脊椎損傷の疑いがないと判断する方法を日本の医師や救急隊員は知りません。もしこんな素人が教わってその場できるような簡単なテストで脊椎損傷の可能性がないと言い切れるのであれば、大げさで時間がかかる全脊柱固定など行うわけがありません。
この重みを認識すべきです。(教えるほうも教わるほうも)
現実問題、野外環境下ではいつまでも頚椎保護をしているわけには行かないので、このような緊急避難的な大雑把な判断でもしないといけないという点、私も登山者ですからわかりますが、日本の医師ですらそんな危険な判断はしないというレベルのものであることは知っておくべきです。
2.心肺蘇生の開始と停止
この項目は大きな問題はないのですが、用語の定義が間違っているのが1点。
高エネルギー外傷を「墜落により脳の内部が露出しているようなひどい外傷」と手意義づけていますが、日本の救急医療で認識されている「高エネルギー外傷」とはニュアンスが違うので注意!
日本で認知されている高エネルギー外傷は下記のとおりです。
「高所からの転落」「ある程度のスピード以上での自動車事故」など、「目に見える徴候がなくても、受傷機転から考えて生命に危険のある損傷を負っている可能性が無視できない状態」を高エネルギー外傷という。(ウィキペディア「外傷病院前救護ガイドライン」より)
もともとガイドライン2000の時代から、論文としては外傷性心停止は蘇生を行う必要はないという意見はありました。恐らくそこから派生した内容と思われますが、脳が脱出しているというのはすでに社会死ですから、どちらかというと「1.死亡していることが明らかである」という項目の範疇かと思われます。
3.創傷の処置
「刺さったものは抜くのが原則」とあるが、日本の救急法や救急隊員による処置でも抜かないのが原則。この文章だけ読むと、野外ゆえの特殊性という点が伝わらず、全般的なルールかのように受け取られかねないことを危惧した。冒頭のウィルダネス・プロトコルの説明を理解し、覚えている状態でこの項目を読む人がどれだけいるのか、、、、、
4.脱臼の整復
脱臼は医師にかかるべきケガです。自分で治すものではありません。山行を続けるために、その場で心得がある人が治す、というものでもありません。退避のためにどうしても必要であれば、、、、という命と天秤にかけての最後の手段です。
さして緊急性があったけでもないのに、知っているからやりたくなる、やってしまったという不適切な事例を実際に耳にしています。
5.アナフィラキシーに対する救急薬物投与
エピネフィリンという単語は日本では正確ではありません。現在はアドレナリンが正式。古い言い方でもエピネフリン、でしょうか。
エピネフリン注射(エピペン)に関しての日本事情の説明は不正確です。一般処方薬とは性質がまったく違います。処方箋があれば買えるというものではなく、登録した医師のみが本人専用として出すことができます。
また、2度打ちできる自動注射器は日本には入ってきていませんので、5分後に再度注射ということは日本ではありえません。
エピペンはアナフィラキシーショックのリスクがある人が、自分専用に、ということに限って購入できるものです。ファーストエイド・プロバイダーが不特定多数の使用に備えて準備しておくというものでは決してありません。
この号に書かれている処置のほとんどは、日本の医療常識からするととんでもないものばかりです。
それに対して日本の医療が封建的で遅れているだけという意見もあることでしょう。否定はしません。
それでもあえて実践しなければいけない場面がウィルダネスではあるかもしれない。
しかしそれは究極の選択のはずです。
もう一度書きます。
生きるか死ぬかの究極の選択。
それによって傷病者は生きるかもしれない。しかし、逆に脱臼の整復に失敗して一生残る後遺症を負わせるかもしれない、薬剤投与でアナフィラキシーショックを起こして死なせるかもしれない。また、医師法違反や傷害罪で訴追されて自分自身が社会的に抹殺されるかもしれない。
そんなリスクを負ってまで行う必然性があるのか?
わかった上でYesというなら何も言いません。自己責任が山の常識ですから。
しかしそのリスクを理解しないでおいそれと気軽に禁断のウィルダネス・プロトコルを多用するコース受講者が頻発しているのも事実です。
それは、講習のあり方に問題があるのは明白ですが、この記事がそれを助長することがあったら、筆者も不本意なはず。
だからこそ、細かいようですが、懐疑的な意見を書かせてもらいました。
私自身はウィルダネス・ファーストエイドこそ日本に必要なものと思っています。しかし非常に危険なものであるとも認識しています。その危険性を理解したうえで、あえて使いこなす大人であってほしい、すべての関係者が。
そんな思いでこれを書きました。