2010年04月06日

受講のモチベーション

私、医療従事者向けのBLSやACLSより、一般の方向けの心肺蘇生法普及や応急手当(ファーストエイド)講習の方が大切と思い、そういう活動をしているのですが、市民向け講習をしていてしばしばわからなくなります。

どういう風にモチベーションを設定したらいいのかなって。

医療従事者に関しては簡単です。

BLSなんてできて当たり前で、できなきゃまずいという世界ですから。


でも一般市民で心肺蘇生法や救急法を身につけたいと思う人は、いったいどうしてそう思うんでしょうね?

考えてみると不思議です。

わかりやすい例だと、家族が身近なところで急変したり、事故に巻き込まれた経験がある方。「あのとき、自分がなにかできたら」と強い動機を得るのは自然なことかもしれません。

あとは、仕事や社会的立場から、いざというときに対応しなくてはいけない立場の人たち。これも当然といえば当然で理解に難しくありません。

上記ふたつは、誰に対して応急手当や心肺蘇生を提供するかというビジョンが明確になっています。


しかし、そうでない方たちもいて、この場合、どこに受講のモチベーションを置くか、いつも迷います。

つまり、

「いざというとき、なにかできるようになりたいから」

「人のためになりたいから」

とおっしゃる方たちです。なにか決定的な出来事があったのかというとそういうわけでもない場合が多く、ある意味正義感の強い方たちなのだと思います。

こういった方たちの場合は、バイスタンダーとして困っている人を助けるという場面を前提にシミュレーションをしたり、話をしていくのですが、よりリアルに突っ込んだことをすると、やがて行き詰まってしまうというか、いろいろ無理が出てきてしまいます。


たとえば、よかれと思って具合悪そうな人に声をかけて、反対に怒られた経験、ありませんか?

私は何度かあります。

具体的な話を書くと、講習のときに身元がバレてしまうので控えますが、正義感(?)からいさんで歩み寄っていったら、ぺしゃっと拒否られて意気消沈みたいなことが何度かありました。

普通の救急法教育の世界では、ケガした人、困った人は助けを求めているという前提で話は進んでいきますが、現実はそればかりではありません。

糖尿病の低血糖発作のように不機嫌な人もいるかもしれないし。



助け合いという理念はすばらしいものだと思います。しかし「助けてあげる」という発想でいると、いつか積み立てたものが崩れ落ちてしまう日がくるかもしれない、、、、

その点、アメリカ系のファーストエイド講習のアプローチは現実的で健全です。


「救急法の訓練を受けているものです。お手伝いできることがありますか?」

ふたつの選択があります。

ひとつは、自分がファーストエイドを提供するか否かという選択。

もうひとつは傷病者が救助を受け入れるか否かという選択。


リアルな状況設定でシミュレーショントレーニングをすればするほど、ファーストエイドの難しさが見えてきます。

かっこよさや正義感だけでは済まないという現実が見えてきたとき、行き着くところは、いったいなんで自分はファーストエイドを学んでいるんだ? という根本的な疑問です。

私自身はどうなんだろうと考えてみるのですが、自分のリスクを負ってまでバイスタンダーで見ず知らずの人を助ける自信はありません。大けがをしていても本人が拒否をすればそれ以上は積極的な介入はできないだろうと思います。

それでもファーストエイドに関して研鑽を積み、感染防護手袋を持ち歩いているのは、「自分自身が後悔したくない」というのが究極の理由なんじゃないかと考えています。

目の前でなにかあったときに、「あのときこうしていれば、、、」と自分の人生の中で後悔したくない。



隣人愛を前提として話を進めるのはとてもキレイですが、それだけではいけない気がする。

人徳のある聖者のような人にはいいかもしれないけど、たいていの場合は理想像の押しつけで無言の圧力を加えることにもなりかねない。

手袋もないのに血の海に向かっていったりとか。

リスクを強調しすぎると、普及を阻む要因となるし、かといって美しいことだけを伝えても現実リスクがあるし。


そう考えると、職業義務としてのCPRやファーストエイドが教えるのが一番簡単です。
スタンスが明確ですから。

そうでない心肺蘇生・ファーストエイドに興味を持ってくれている人をどういう方向で支援していくか。

突っ込んだことをしなければ、こんな悩むこともないのですが。
posted by めっつぇんばーむ at 01:05 | Comment(1) | TrackBack(0) | AHA-BLSインストラクター
この記事へのコメント
私は、勤務が休みの日に具合の悪そうな人に声をかけてそれなりのことをさせていただいた時に感謝されて、とても嬉しく感じたことがあります。

苦しそうにしている人に声をかけた直後に身内の方がきて「自分たちでやるから引っ込んでて」みたいなことを言われたこともあります。

うずくまっている人に「大丈夫ですか?」と尋ねたらゾッとするような目つきでみつめられて(表現しにくいのですが睨まれた訳ではないのです)怖くなって何もできなかったこともあります。

でも私は、例えば10回のうち8回怒られても2回喜んでもらうことができれば、その8回のことは気にしないでいられます。危害を加えられるようなことは別ですけど。

今回めっつぇんばーむさんがお話にされているような方たちとは、私もAHAではない講習会でも接していますが、私と同じような想いで参加されているのかなぁ…くらいにしか考えていませんでした。

今回のお話、とても難しいですけど、すごく大切なことのひとつだと思います。
Posted by IDFU at 2010年04月07日 11:26
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック